
2024年9月30日、常陸宮正仁親王(以下「常陸宮さま」)と華子妃(以下「華子さま」)がご結婚から60年を迎えました。

一般にはダイヤモンド婚と言われますね。

常陸宮さまは昭和天皇の第二皇子で上皇陛下の唯一の弟宮ですが、目立つことなく歴代天皇家を支え続けているので若い方はご存知ない方も多いようです。
妃殿下の華子さまについてもあまり知られていないので、少しまとめてみようと思います。
華子さまは1940年(昭和15年)7月19日、東京府東京市淀橋区(現:東京都新宿区下落合)の津軽伯爵邸にて華族・津軽義孝伯爵令嬢として誕生します。
母の久子さんは毛利元雄子爵令嬢。姉に泰子さん、実枝子さん、明子さんがいます。
戦時中のため休園していた女子学習院幼稚園には入園せず、1947年(昭和22年)に新制の学習院初等科に入学。1953年(昭和28年)、学習院女子中等科に入学し、1956年(昭和31年)、同高等科に入学。1961年(昭和36年)3月、学習院女子短期大学(当時)文科英語専攻を卒業されています。

1961年(昭和35年)から正仁親王妃の選考が本格化します。皇后良子さま(当時)の「気心の知れた近間の人」という強い希望から、本人・実家に加え血縁上の問題が無いとなると、大変な難航を極めました。

皇太子妃の美智子さまが民間出身だったことから、正仁親王妃は絶対に旧皇族、旧華族からという雰囲気が強くありました。
華子さまも津軽家に男児がいなかったため婿を取るであろうと言う予測から、候補から外れていました。
しかし1963年(昭和38年)、香淳皇后や常磐会(学習院女子中・高等科の同窓会)の強い希望から旧華族の華子が強く推薦され、正仁親王の学習院研究室にて初顔合わせが行われました。
1964年(昭和39年)2月20日、伯父の徳川義寛侍従(元男爵)市谷邸でお見合いをします。父の津軽義孝氏は、徳川家の生まれですが、嫡男のなかった津軽家に養子に入っていたため、血縁としては華子さまは徳川家出身ということになります。
この一度の見合いを経て、同年2月28日に皇室会議で満場一致で婚約内定します。
2月22日に津軽家が縁談を受諾し同年4月14日に納采の儀を経て婚約が成立しました。
同9月30日に結婚の儀を行い、沿道には約5万人が集まり祝福しました。同日に常陸宮家が創設され渋谷区常磐松町(現:東)に常盤松御用地内の常陸宮邸へ転居します。

1989年(平成元年)2月24日に、内閣の主催で行われた昭和天皇の大喪の礼では、欠席した皇太后(香淳皇后)の名代を務め、席次は天皇、皇后に続き皇太子さまより上位の第3位でした。
現在は日本赤十字社名誉副総裁のほか、日本いけばな芸術協会、日本動物福祉協会、日本馬術連盟、日本・ラテンアメリカ婦人協会の名誉総裁職に就いています。
2016年8月7日、同年7月16日に両側変形性股関節症の手術のため東京都世田谷区の日産厚生会玉川病院に入院していた華子さまは同日午後、退院したと発表されました。人工関節に入れ替える手術を無事に終え、院内でリハビリを続けていました。
園遊会では杖をついてお出ましになっていらっしゃいましたね。
気品あふれる皇族、と周囲からの信頼も厚い常陸宮さまと華子さま。お元気で長生きしていただきたいですね。













































