礼宮さま(現在の秋篠宮さま)は成年会見の時に、「ご兄弟でどのように呼びあっておられますか?」という質問に、こうお答えになっています。
浩宮のことは、お兄ちゃまと呼んでいます。浩宮は私のことをアヤちゃん、紀宮はアヤ兄ちゃまと呼んでいます
仲のいいご兄弟でした。
浩宮さま(今上陛下)が初の海外訪問でオーストラリアに向かう際の見送りでは礼宮さまは今にも泣きそうな顔をしています。
無邪気に見送る紀宮さまとは対照的で、寂しさをこらえるような表情です。
ご兄弟はとても仲良しでした。浩宮さまは礼宮さまが生まれてから、学校から帰るとランドセルを置いて「アーヤちゃんはどこ?」と真っ先に礼宮さまのところに行ったそうです。
自転車の練習にもつきっきりでした。
ご両親がご公務の際も礼宮さまの面倒をよく見られていた。
思春期に入ってからも良き相談相手でした。
その関係は大学生になってからも続きます。
然し、川嶋紀子さんと出会い婚約してから礼宮さまは「お兄ちゃま」を揶揄するような発言をするようになります。
当時お妃選びが難航していた浩宮さまについて「30歳までに出来れば上出来」と自身の婚約会見の場で話し顰蹙を買います。
ただ、この頃は「仲が悪い」というわけではなかったでしょう。
おふたりの仲が決定的にこじれたのは、当時皇太子だった浩宮さま(今上陛下)の「人格否定発言」の頃です。
皇太子殿下(当時)の「人格否定発言」は国内外で大きな波紋を呼びました。
当然、国民は皇族方の反応に大きな関心を寄せました。

「唯一の欠点は慎重すぎること」と言われた皇太子殿下のこの思い切った発言の前には様々な事件があり、また皇太子妃殿下(当時、以下「雅子さま」)に対する男児出産のプレッシャー、それに伴う帯状疱疹による入院、適応障害での療養という過酷な状況がありました。
「雅子さんのことは私が全力でお守りします」というプロポーズの時の約束を果たすかのような「人格否定発言」でした。
この発言を受けて、弟宮である秋篠宮殿下は39歳の誕生日会見で兄宮である皇太子殿下に公然と苦言を呈します。

「事前に陛下に相談すべき」とご自身が言っていることから、このこのご自身の発言は陛下(当時、現在の上皇)のお墨付きだったということでしょう。

実際、当時の天皇皇后両陛下も皇太子殿下を批判する声明を発表しています。
こうして、皇太子ご一家は孤立し、対照的に秋篠宮家は当時の天皇皇后両陛下の強い庇護を受けるようになります。
そして、紀子さまは「人格否定発言」の翌2005年、第3子を懐妊されます。
懐妊直後、AP通信が「産み分けによる男児確定」を報じます。
まさか産み分けなど、と国民は本気にしていませんでしたが、人格否定発言の翌々年、2006年に誕生されたのは親王(男児)殿下でした。
この時から、秋篠宮ご一家はマスコミの寵児となり、反対に皇太子ご一家は酷い誹謗中傷に晒され、雅子さまの適応障害による療養生活は長期化することとなります。
仲の良かった「お兄ちゃま」と「アヤちゃん」の距離はいつの間にか遠くなってしまいました。











































