2025年08月


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最近、SNS上では紀子さまの直筆文字が話題となりました。


万博会場で書かれたもので、特に「命」という漢字が間違っていることに注目が集まりました。

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また、漢字の間違いだけでなくその文字の幼さに注目が集まりました。


しかし、過去に宮内庁が紀子さまの直筆として発表した文字は驚くほど達筆です。


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お妃教育には「書道」も含まれています。

しかし、川嶋紀子さん(以下、紀子さま)はお妃教育で書道を免除されました。


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これは書道がお得意だからと誤解されている人がいますが、そうではありません。当時の皇后両陛下であった美智子さまが「お習字はお祖母さまから習いなさい」とおっしゃって、一週間に一度半年間、父方の祖母の川嶋紀子(いとこ)さんに指導を受けたからだそうです。


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さて、そんな紀子さまの文字はどんなものでしょうか。まずは「お祖母のお妃教育」を受ける前の文字を見てみましょう。


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1976年(昭和51年)、紀子さまは豊島区立目白小学校から学習院初等科4年へ編入します。しかし、翌年の1学期を終えた段階で、オーストリアに転居します。


つまりこの手紙は紀子さまが初等科5年生の時に書かれたもののようです。


ご家庭での会話が日本語ではなかったのかもしれませんが、「寒いでした」という日本語をみると「お受験」を勝ち抜いた子供たちの多い学習院初等科の授業についていくのはなかなか大変だったのでは、と推察できます。


お祖母さまから半年間、お習字を習った紀子さまの文字は小学生の頃とそれほど変わっていませんが、帰国子女の紀子さまにとっては日本語自体がハードルが高いのかもしれません。

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一方、皇后陛下(以下、雅子さま)は独身時代から達筆で知られています。


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雅子さまも帰国子女ですが、幼少時からお祖母さまに書の手ほどきを受けていました。



これはご成婚前のクリスマスにご両親に送られたカードですので、29歳の時のものですね。


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20代前半の文字も大変美しいのがわかります。


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英文も大変綺麗に書かれています。


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I hope this card will find you in good health and happiness. It was lovely to see you in Tokyo in June last year.
Wishing you much happiness in 1995.
Yours, Masako


1994年年末(クリスマス)のグリーティングカードですね。


さて、雅子さまと比較するとどうしても見劣りしてしまう紀子さまの文字ですが、皇室に入られてから猛練習されたのか、お手本を写したのかはわかりませんが、かなり上達はされています。


それが宮内庁が公開した紀子さま御歌の色紙です。

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当時は研鑽を積み、驚くほど上達されたと称賛されましたが、万博での文字を見ると、同じ方書かれたとは思えないほど違います。


まるで、宮内庁が提供する紀子さまの写真と海外メディアが報道する紀子さまの写真の違いのようです。


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今ではご立派にご成長され、「愛子天皇待望論」まで出るほどの人気を誇る敬宮愛子内親王(以下「愛子さま」)ですが、学習院初等科ご在学中には、クラスに乱暴な男子がいるという理由で登校に問題が生じる、ということがありました。




「乱暴な男児がいる」と報じられましたが、後に階段から突き落とされそうになったり、給食に異物を混入されたりとかなり過激だったことが関係者の証言で明らかになり世間を驚かせました。



当時皇太子妃であった雅子さまが登校に付き添われることとなった時にはその事実が公表されていなかったため、「過保護すぎる」「他の生徒に迷惑」などとかなり批判されました。

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この「付き添い登校」はマスコミからも酷いバッシングを受け、「異様な親子」「茶番」とまで言われました。


それでも雅子さまは愛子さまがおひとりで登校できるようになるまで「付き添い登校」を続けられました。

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雅子さまはこの年の誕生日のご感想で、愛子さまへの付き添いについて自ら説明されています。


昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、親として何をしてあげられるのか、日々考え、力を尽くしてまいりました。学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした



そこには、例え誹謗中傷されようとも子供を守り抜く、という母としての強い決意が感じられます。


愛子さまがご立派にご成長されたのは、ご両親の揺るぎない愛情があったからこそでしょう。




この時の学習院の院長は、上皇后美智子さまのご結婚の際に、「美智子さまの婚約者」として国会質疑でも名前の上がった波多野氏でした




詳しくはコチラ⬇️





また「乱暴な男子」が秋篠宮妃紀子さまの実父川嶋辰彦氏の同僚の孫であったことから、ネットでは紀子さまの関与も囁かれましたが、この点に関しては結局のところはっきりせず、噂レベルで幕を閉じました




また、この問題が宮内庁から発表されたのは、皇太子さま(当時)がアフリカ訪問にお出かけになる前日で、残された雅子さまはお一人で対応を迫られる、という苛酷な状況に追い込まれました。


詳しくはコチラ⬇️




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今でもこの事件に関しては、川嶋家の関与や美智子さまの圧力などが噂されますが、実際のところ何が真実だったのかはわかっていません。



ただ、愛子さまが怯えても仕方ないほどのいじめだったこと、そしてその愛子さまを雅子さまが皇太子さま(当時)とともに守りきったという事実が愛子さまの今の素晴らしい笑顔につながっていることだけは事実です。


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上皇后陛下(以下「美智子さま」と表記)が皇族でも旧華族でもなく民間から皇太子妃となることが決まった時、「粉屋の娘」と揶揄されました。

戦後、華族制度は廃止されたとはいえ、まだ日本には人々の意識として「身分制度」が強く残っていました。


日清製粉の社長令嬢であるとはいえ、皇族や旧華族からすれば「粉屋の娘」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。


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当時の国会答弁でも「粉屋の娘」という言葉が使われています。


ただ、「粉屋の娘」だったことが問題ではなく、お見合いの数や婚約を白紙に戻したことなどが問題とされました。


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今であれば大問題になりますが、当時はまだ「平民」という言葉が普通に使われていた時代です。


まだ日本が戦後復興の最中で、充分な教育を受けることができない人も多かった時代、聖心女子大学を卒業し、大学を代表して欧州へ渡航できた美智子さまは紛れもない上流階級ではありましたが、皇族や旧華族の方々から見れば単なる「平民」でしかありませんでした。


然し、それは逆に大衆からの熱烈な支持につながり国民からは非常に好意的に受け止められたのです。


当時「お妃候補」となってからの美智子さまの味方は、紛れもなく国民でした。

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美智子様の「どう見られるか」を極端に気にされるという指向性はこの時期に形成されたものではないかと思われます。


例えば、美智子さまは「聖心女子大学首席卒業」と言われていますが、成績を見る限り、とても首席とは思えません。


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普通の大学は首席が卒業式で答辞を読みますが、当時の聖心はプレジデント(自治会長)が答辞を読むのが慣例でした。


自治会長として答辞を読んだ美智子さまは、マスコミが首席卒業と誤解して報じるのを訂正はせずにうまく利用しました。



ところが近年、美智子さまを支持してきた層の高齢化に加え、インターネットでの情報共有が日常的となったことから、かつての美智子さまの「ご優秀」「慈愛のイメージ」が崩れむしろ批判に晒されています。


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宮内庁を通じメディアに圧力をかけている、という噂はもはや噂ではなく、国民の間では新しい「常識」になっています。


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上皇陛下よりも常に目立ち、天皇皇后両陛下や他の皇族方がご自身よりもメディアに取り上げることを好まない、といった姿勢が頻繁に批判を浴びるようになりました。


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上皇陛下をまるで侍従のように扱う、という批判もされています。


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海外王族に対するマナーも度々批判の的となります。欧州ではこういった形で王族の体に手を触れることは非常に無礼というのが常識ですが、ついいつもの癖が出てしまわれたのでしょう。


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昭和の時代、ご退院された時のこの写真は非常に話題になりました。「皇族らしからぬ」と年配者からは批判されましたが、美智子さまと同世代の方々からは「ご夫婦愛」と非常に好意的に受け止められました。


美智子さまを支持してきた層は既に高齢化し、お亡くなりになった方も多いです。


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美智子さまがもう一度国民の人気を取り戻すことは難しいと言わざるを得ませんが、幸せとは注目を浴びることではなく静かに穏やかに暮らすことだということを思い出し、少しでも心穏やかな日々を過ごしていただきたいものです。


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世紀のご成婚から続いていたミッチー・ブームですが、実は皇族女性で上皇后陛下(以下「美智子様」)よりも国民の人気が高かったのは昭和天皇の第5皇女である清宮内親王(降嫁後の島津貴子さん)でした。

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島津さんはそのハキハキとした話し方と非常にフランクなお人柄で国民から「おスタちゃん」と呼ばれ、大変な人気を誇っていました。


清宮の「ス」と貴子の「タ」で「おスタちゃん」です。

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女性誌のアンケートでも常に美智子様を抜いていました。


美智子様もそれを意識されてか、島津さんのファッションをかなり真似ています。



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グレース・ケリーの模倣ですが、サングラスは島津さんが使ってから美智子さまも使うようになりました。


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サングラス姿は島津さんが当時非常にファッショナブルと話題を呼んだサングラス姿を真似たもの、と言われています。


常にご自分が一番でなければ気が済まないご気質の美智子様には生まれながらのプリンセスである島津さんの存在は非常に気になるものであったでしょう。





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紀子さまはお着物の時によく着付けについて批判されます。


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確かに美しい着付けとはいえず、高価なお着物なのに残念です。


紀子さまの父方の祖母川嶋紀子(いとこ)さんはいつも和装でしたが、あまり着付けにはこだわらない方でした。


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紀子さまもあまりこだわらないのかもしれません。

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一般に、和装は特別という感覚ですが、紀子さまは洋装とおなじ感覚なのかもしれません。


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佇まいも、和装の時は親子でも佳子さまのほうが美しいですね。


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