カテゴリ:天皇家 > 今上陛下



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今上陛下のシルクハットの持ち方の美しさには昔から定評があります。


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一般人が持つことはほとんどないシルクハットですが、持ち方のマナーはどのようなものなのでしょうか。




上記の記事によれば、正しい持ち方は以下のようになります。


シルクハットの正しい持ち方:

1.内側が見えないように持つ
2.つばの部分を持つ
3.体の前か横に自然に手を下ろす
4.お客様をお出迎えする際は、腕に抱える
5.シルクハットを大切に扱う



横か前かという議論がよくありますが、内側が見えなければ横でも間違いではないようです。

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ただ、英国王室では皆さん最も正式と言われる前で持つ様式を採用しているようです。


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日本の皇室では今上陛下と常陸宮正仁親王殿下だけが徹底してこの形を守っています。


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上皇陛下や秋篠宮殿下、故寛仁親王殿下は横で持つスタイルです。


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昭和天皇も横で持つスタイルでした。


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横で持つスタイルも間違いではありません。


ただ横で持つと裏地が見えてしまう可能性が高くなるので、前で持つほうが良いということなのかもしれません。


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今上陛下は小さい時に教わった通りの持ち方を今も守っていらっしゃるのでしょう。


悠仁親王殿下はお父さまの秋篠宮殿下と同じく、横で持つスタイルです。


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裏地が見えてしまっているのが残念ですが、横に持つとどうしても裏地が見える可能性が高くなるので仕方がないですね。


さて、余談ですが、昭和天皇は皇太子時代に初の欧州歴訪をされました。


まだ日本に欧米の文化があまり入ってきておらず、昭和天皇はナイフやフォークの使い方などテーブルマナーも、欧州に向かう船上で特訓を受けました。


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この欧州歴訪は昭和天皇に大きな影響を与え、それは日本の欧米化、近代化にも影響しました。



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もしも、産婦人科医として自分が取り上げた赤ちゃんの天皇即位を見届けることができるとしたら、これほど感慨深いことはないでしょう。







そんな貴重な経験をされたのが、当時東京大学産婦人科で未熟児(低出生体重児)の研究をしていた杉本毅さんです。

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皇太子妃美智子さまの最初のご出産はまさに国家プロジェクトでした。


未熟児の可能性もあったため、若手産婦人科医の杉本さんもそのプロジェクトに抜擢されました。


幸いにもお生まれになった親王は未熟児ではなく、皆が胸を撫で下ろしたといいます。


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日本国民が待ちに待った皇孫の誕生、しかも親王ということで奉祝ムードは頂点に達しました。


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そしてこの快挙は皇太子妃としての美智子さまの地位を不動のものとします。


美智子さまの衣装道楽や浪費を国民が許した背景には、この「浩宮さまご誕生」がありました。


「将来の天皇」を出産され、国民を味方につけた美智子さまには「怖いもの」がなくなります。


美智子さまに苦言を呈することのできない雰囲気は親王ご誕生から始まったと言えるでしょう。


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天皇陛下がまだ浩宮さまと御称号で呼ばれていたお若い頃、お好きな芸能人が柏原芳恵さんということで大変話題になりました。

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当時、トップアイドルの一人だった柏原芳恵さんのリサイタルにお出かけになり、ご対面を果たされています。


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天皇陛下はお顔立ちのはっきりした美人がお好きなようですね。


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英国留学時代には、ブルック・シールズさんのポスターを寮の部屋に飾られていたそうです。


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人格否定発言とは、2004年(平成16年)5月10日、皇太子徳仁親王殿下(当時、以下「皇太子さま」)が、欧州歴訪前の記者会見において、皇太子妃殿下(当時、以下「雅子さま」)に関して述べた発言を指します。

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皇太子さまの御称号から浩宮の乱とも呼ばれています。





この半年前の2003年10月には、晩餐会において皇太子妃殿下である雅子さまの紹介が飛ばされ、秋篠宮妃殿下(以下「紀子さま」)が紹介されるという「フォックス大統領晩餐会紹介飛ばし事件」が起きています。






その2ヶ月後の2003年12月、雅子さまは帯状疱疹を発症され入院します。

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そして2004年5月、雅子さまは「適応障害」と診断され、療養生活に入ります。



それを受けて、同月、皇太子さまが欧州歴訪前の記者会見で「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言されました。


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当時、外務省出身で国際派と見られていた雅子さまと保守的な宮内庁の間に軋轢があることを示唆する発言が皇太子さま本人の口からなされたことは、日本政府や国民に対して大きな衝撃を与え、内外のメディアでもセンセーショナルに取り上げられました。



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当時、この発言は「宮内庁との軋轢」との見方が主流であったものの、その後「天皇皇后両陛下(当時)や秋篠宮ご夫妻との軋轢ではないか」との見方も強まりました。



2004年当時は皇室全体として皇族男子が40年近く誕生していないことや、皇族男子が誕生していなかったために皇太子ご夫妻にも皇位継承者誕生のプレッシャーがかかり雅子さまの海外訪問が制限されていたことなどがクローズアップされました。




この発言に慌てたのは宮内庁だけではありません。当時の明仁天皇と美智子皇后、秋篠宮ご夫妻もその驚きを隠せず、早々にコメントを発表します。


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秋篠宮殿下は「事前に天皇陛下に相談すべきだった」と兄宮を公然と批判します。



つまりこの批判は「事前に天皇陛下の了解を得ている。皇太子を批判することは、天皇皇后両陛下のお墨付き」と言っていると解釈できます。


「浩宮さまのご養育係」だった元東宮侍従の浜尾実氏が困惑するほどの発言だったことを考えると、これは単に宮内庁に対するものではなく、当時の天皇皇后両陛下に対するものだったのでは、と見るほうが自然です。






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そして宮内庁は2004年12月23日 、 宮内記者会の質問に対する天皇の文書を発表し、そこで「人格否定発言」に対する明仁天皇の意見を発表します。


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これを受けて、メディアは「皇太子御一家への批判は天皇皇后両陛下のお墨付き」とばかり、誹謗中傷ともいえるメディア合戦がはじまります。


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廃太子署名までするタレントが現れる程でした。












この人格否定発言から、皇太子ご一家へのバッシングは令和になるまでの15年近く続くことになります。


即位のパレードで見せた雅子さまの涙にはこの長い期間の苦しみが全て込められていた事は想像に難くありません。



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礼宮さま(現在の秋篠宮さま)は成年会見の時に、「ご兄弟でどのように呼びあっておられますか?」という質問に、こうお答えになっています。

浩宮のことは、お兄ちゃまと呼んでいます。浩宮は私のことをアヤちゃん、紀宮はアヤ兄ちゃまと呼んでいます



仲のいいご兄弟でした。

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浩宮さま(今上陛下)が初の海外訪問でオーストラリアに向かう際の見送りでは礼宮さまは今にも泣きそうな顔をしています。

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無邪気に見送る紀宮さまとは対照的で、寂しさをこらえるような表情です。



ご兄弟はとても仲良しでした。浩宮さまは礼宮さまが生まれてから、学校から帰るとランドセルを置いて「アーヤちゃんはどこ?」と真っ先に礼宮さまのところに行ったそうです。


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自転車の練習にもつきっきりでした。


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ご両親がご公務の際も礼宮さまの面倒をよく見られていた。

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思春期に入ってからも良き相談相手でした。



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その関係は大学生になってからも続きます。

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然し、川嶋紀子さんと出会い婚約してから礼宮さまは「お兄ちゃま」を揶揄するような発言をするようになります。


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当時お妃選びが難航していた浩宮さまについて「30歳までに出来れば上出来」と自身の婚約会見の場で話し顰蹙を買います。


ただ、この頃は「仲が悪い」というわけではなかったでしょう。


おふたりの仲が決定的にこじれたのは、当時皇太子だった浩宮さま(今上陛下)の「人格否定発言」の頃です。



皇太子殿下(当時)の「人格否定発言」は国内外で大きな波紋を呼びました。





当然、国民は皇族方の反応に大きな関心を寄せました。


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「唯一の欠点は慎重すぎること」と言われた皇太子殿下のこの思い切った発言の前には様々な事件があり、また皇太子妃殿下(当時、以下「雅子さま」)に対する男児出産のプレッシャー、それに伴う帯状疱疹による入院、適応障害での療養という過酷な状況がありました。







「雅子さんのことは私が全力でお守りします」というプロポーズの時の約束を果たすかのような「人格否定発言」でした。


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この発言を受けて、弟宮である秋篠宮殿下は39歳の誕生日会見で兄宮である皇太子殿下に公然と苦言を呈します。


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「事前に陛下に相談すべき」とご自身が言っていることから、このこのご自身の発言は陛下(当時、現在の上皇)のお墨付きだったということでしょう。


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実際、当時の天皇皇后両陛下も皇太子殿下を批判する声明を発表しています。


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こうして、皇太子ご一家は孤立し、対照的に秋篠宮家は当時の天皇皇后両陛下の強い庇護を受けるようになります。

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そして、紀子さまは「人格否定発言」の翌2005年、第3子を懐妊されます。

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懐妊直後、AP通信が「産み分けによる男児確定」を報じます。


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まさか産み分けなど、と国民は本気にしていませんでしたが、人格否定発言の翌々年、2006年に誕生されたのは親王(男児)殿下でした。


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この時から、秋篠宮ご一家はマスコミの寵児となり、反対に皇太子ご一家は酷い誹謗中傷に晒され、雅子さまの適応障害による療養生活は長期化することとなります。




仲の良かった「お兄ちゃま」と「アヤちゃん」の距離はいつの間にか遠くなってしまいました。

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