上皇后陛下(以下「美智子さま」と表記)が皇族でも旧華族でもなく民間から皇太子妃となることが決まった時、「粉屋の娘」と揶揄されました。
戦後、華族制度は廃止されたとはいえ、まだ日本には人々の意識として「身分制度」が強く残っていました。
日清製粉の社長令嬢であるとはいえ、皇族や旧華族からすれば「粉屋の娘」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
当時の国会答弁でも「粉屋の娘」という言葉が使われています。
ただ、「粉屋の娘」だったことが問題ではなく、お見合いの数や婚約を白紙に戻したことなどが問題とされました。
今であれば大問題になりますが、当時はまだ「平民」という言葉が普通に使われていた時代です。
まだ日本が戦後復興の最中で、充分な教育を受けることができない人も多かった時代、聖心女子大学を卒業し、大学を代表して欧州へ渡航できた美智子さまは紛れもない上流階級ではありましたが、皇族や旧華族の方々から見れば単なる「平民」でしかありませんでした。
然し、それは逆に大衆からの熱烈な支持につながり国民からは非常に好意的に受け止められたのです。
当時「お妃候補」となってからの美智子さまの味方は、紛れもなく国民でした。
美智子様の「どう見られるか」を極端に気にされるという指向性はこの時期に形成されたものではないかと思われます。
例えば、美智子さまは「聖心女子大学首席卒業」と言われていますが、成績を見る限り、とても首席とは思えません。
普通の大学は首席が卒業式で答辞を読みますが、当時の聖心はプレジデント(自治会長)が答辞を読むのが慣例でした。
自治会長として答辞を読んだ美智子さまは、マスコミが首席卒業と誤解して報じるのを訂正はせずにうまく利用しました。
ところが近年、美智子さまを支持してきた層の高齢化に加え、インターネットでの情報共有が日常的となったことから、かつての美智子さまの「ご優秀」「慈愛のイメージ」が崩れむしろ批判に晒されています。
宮内庁を通じメディアに圧力をかけている、という噂はもはや噂ではなく、国民の間では新しい「常識」になっています。
上皇陛下よりも常に目立ち、天皇皇后両陛下や他の皇族方がご自身よりもメディアに取り上げることを好まない、といった姿勢が頻繁に批判を浴びるようになりました。
上皇陛下をまるで侍従のように扱う、という批判もされています。
海外王族に対するマナーも度々批判の的となります。欧州ではこういった形で王族の体に手を触れることは非常に無礼というのが常識ですが、ついいつもの癖が出てしまわれたのでしょう。
昭和の時代、ご退院された時のこの写真は非常に話題になりました。「皇族らしからぬ」と年配者からは批判されましたが、美智子さまと同世代の方々からは「ご夫婦愛」と非常に好意的に受け止められました。
美智子さまを支持してきた層は既に高齢化し、お亡くなりになった方も多いです。
美智子さまがもう一度国民の人気を取り戻すことは難しいと言わざるを得ませんが、幸せとは注目を浴びることではなく静かに穏やかに暮らすことだということを思い出し、少しでも心穏やかな日々を過ごしていただきたいものです。
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