カテゴリ: バッシング

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今ではご立派にご成長され、「愛子天皇待望論」まで出るほどの人気を誇る敬宮愛子内親王(以下「愛子さま」)ですが、学習院初等科ご在学中には、クラスに乱暴な男子がいるという理由で登校に問題が生じる、ということがありました。




「乱暴な男児がいる」と報じられましたが、後に階段から突き落とされそうになったり、給食に異物を混入されたりとかなり過激だったことが関係者の証言で明らかになり世間を驚かせました。



当時皇太子妃であった雅子さまが登校に付き添われることとなった時にはその事実が公表されていなかったため、「過保護すぎる」「他の生徒に迷惑」などとかなり批判されました。

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この「付き添い登校」はマスコミからも酷いバッシングを受け、「異様な親子」「茶番」とまで言われました。


それでも雅子さまは愛子さまがおひとりで登校できるようになるまで「付き添い登校」を続けられました。

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雅子さまはこの年の誕生日のご感想で、愛子さまへの付き添いについて自ら説明されています。


昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、親として何をしてあげられるのか、日々考え、力を尽くしてまいりました。学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした



そこには、例え誹謗中傷されようとも子供を守り抜く、という母としての強い決意が感じられます。


愛子さまがご立派にご成長されたのは、ご両親の揺るぎない愛情があったからこそでしょう。




この時の学習院の院長は、上皇后美智子さまのご結婚の際に、「美智子さまの婚約者」として国会質疑でも名前の上がった波多野氏でした




詳しくはコチラ⬇️





また「乱暴な男子」が秋篠宮妃紀子さまの実父川嶋辰彦氏の同僚の孫であったことから、ネットでは紀子さまの関与も囁かれましたが、この点に関しては結局のところはっきりせず、噂レベルで幕を閉じました




また、この問題が宮内庁から発表されたのは、皇太子さま(当時)がアフリカ訪問にお出かけになる前日で、残された雅子さまはお一人で対応を迫られる、という苛酷な状況に追い込まれました。


詳しくはコチラ⬇️




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今でもこの事件に関しては、川嶋家の関与や美智子さまの圧力などが噂されますが、実際のところ何が真実だったのかはわかっていません。



ただ、愛子さまが怯えても仕方ないほどのいじめだったこと、そしてその愛子さまを雅子さまが皇太子さま(当時)とともに守りきったという事実が愛子さまの今の素晴らしい笑顔につながっていることだけは事実です。


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今ではご立派にご成長され、「愛子天皇待望論」まで出るほどの人気を誇る敬宮愛子内親王(以下「愛子さま」)ですが、学習院初等科ご在学中には、クラスに乱暴な男子がいるという理由で登校に問題が生じる、ということがありました。




「乱暴な男児がいる」と報じられましたが、後に階段から突き落とされそうになったり、給食に異物を混入されたりとかなり過激だったことが関係者の証言で明らかになり世間を驚かせました。



当時皇太子妃であった雅子さまが登校に付き添われることとなった時にはその事実が公表されていなかったため、「過保護すぎる」「他の生徒に迷惑」などとかなり批判されました。

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この「付き添い登校」はマスコミからも酷いバッシングを受け、「異様な親子」「茶番」とまで言われました。


それでも雅子さまは愛子さまがおひとりで登校できるようになるまで「付き添い登校」を続けられました。

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雅子さまはこの年の誕生日のご感想で、愛子さまへの付き添いについて自ら説明されています。


昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、親として何をしてあげられるのか、日々考え、力を尽くしてまいりました。学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした



そこには、例え誹謗中傷されようとも子供を守り抜く、という母としての強い決意が感じられます。


愛子さまがご立派にご成長されたのは、ご両親の揺るぎない愛情があったからこそでしょう。




この時の学習院の院長は、上皇后美智子さまのご結婚の際に、「美智子さまの婚約者」として国会質疑でも名前の上がった波多野氏でした




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また「乱暴な男子」が秋篠宮妃紀子さまの実父川嶋辰彦氏の同僚の孫であったことから、ネットでは紀子さまの関与も囁かれましたが、この点に関しては結局のところはっきりせず、噂レベルで幕を閉じました




また、この問題が宮内庁から発表されたのは、皇太子さま(当時)がアフリカ訪問にお出かけになる前日で、残された雅子さまはお一人で対応を迫られる、という苛酷な状況に追い込まれました。


詳しくはコチラ⬇️




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今でもこの事件に関しては、川嶋家の関与や美智子さまの圧力などが噂されますが、実際のところ何が真実だったのかはわかっていません。



ただ、愛子さまが怯えても仕方ないほどのいじめだったこと、そしてその愛子さまを雅子さまが皇太子さま(当時)とともに守りきったという事実が愛子さまの今の素晴らしい笑顔につながっていることだけは事実です。


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もう大丈夫。私はピュリファイされました。


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名古屋大学准教授の河西氏が「ネットにおける【皿婆】等、上皇后陛下(以下「美智子さま」)への誹謗中傷を懸念」という趣旨の記事を寄稿しています。





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この中で、河西氏は「小室眞子さんの結婚問題が発端」と分析しています。


しかし発端は平成から令和への代替わりだったのではないかと思います。

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平成の時代、まだ小室眞子さんが幼かった頃も美智子さまバッシングが起こったことがありました。

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国民の間には「慈愛」ではなく「自愛」に傾く美智子さまへの不信感が燻っていました。

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皇居の自然林伐採で大きな美智子さま批判が起こった時に美智子さまは「失声症」を発症し、【美智子さまバッシング】を一瞬にして抑え込みました。

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この後、娘である黒田清子さん(当時の紀宮清子内親王)と話すときは声がでる、デザイナーに衣装のサイズ直しをさせるときには甲高い声が出る等の噂が広まり、それが国民の間での美智子様に対する不信感を増幅させました。


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それでもまだ「美智子さまを批判してはいけない」という空気がありました。


そんな空気の中、美智子さまは立ち直り、謎の失声症を克服します。


もう大丈夫。私はピュリファイされました。



「もう大丈夫。私はピュリファイ(浄化)されました」と周囲におっしゃって、このセンテンスが流行しました。






purify(ピュリファイ)というのは、「汚れを落とすこと、清潔にすること、浄化すること」などの意味があります。



個人的には、状況を考えると少し不自然な言い回しだなと思いました。



仕事に疲れてインドでスピリチュアル系のセミナーに参加した米国人の同僚が似たような表現を使っていたことはありますが、それ以外ではこのような使い方はあまり聞いたことがありませんでした。


purified water (精製水)など元々の物質から不純物を取り除き、純度を高めるというプロセスを指す場合に使われるイメージが強かったからかもしれません。


間違っているわけではないですが、違和感のある言い方だった印象が残っています。


何れにしても「私はピュリファイされました」は流行語大賞には選ばれなかったものの、その年のメジャーな表現として随分と取り上げられました。




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真偽については不明のものもありますが、上皇后陛下(以下「美智子さま」)の皇后陛下(以下「雅子さま」)苛めというのは非常に有名です。






しかし、それは最初からだったわけではありません。


ご婚約に至る過程やご成婚当初は少なくとも一般人に知られるほどの苛めがあったわけではありません。

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秋篠宮殿下のご成婚の際、「紀子ちゃんブーム」が巻き起こりましたが、それは美智子さまの人気を脅かすほどのものではありませんでした。

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秋篠宮殿妃殿下(以下「紀子さま」)が「3LDKのプリンセス」ともてはやされたように、美智子さまにとって紀子さまは明らかに格下でした。

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ところが、雅子さまは外務省のトップである事務次官を父に持ち、ご自身もハーバード大を卒業し、東大在学中に外交官試験に合格した才媛です。

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それでも美智子さまには今まで長年に渡って築いてきたご自身の人気に対する絶対的な自信がありました。

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しかし、国民は雅子さまのご成婚後、その美しさに夢中になります。今まで美智子さまを追いかけていたメディアはこぞって雅子さまのほうを向くようになります。


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当時、皇后という立場にありながらご自分よりも皇太子妃である雅子さまが目立つということは美智子さまのプライドを激しく傷つけたことでしょう。

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同じようにご自身が皇太子妃だった時に香淳皇后よりもスポットライトを浴びていたことはすっかり忘れていたでしょう。





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雅子さまの華やなな姿を目にする度に複雑な心境になられたに違いありません。


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美智子さまのかつてのご学友は「いつも一番でないと気が済まない人」と評しています。

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そんな美智子さまの嫉妬心が苛めという形で現れたとしても不思議ではありません。

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外務省のキャリア官僚だった雅子さまは、職場で虐めやパワハラに遭うということもなかったでしょう。幼少時からお友達にも恵まれた雅子さまにとって、おそらく人生で初めての「虐められる」という経験だったに違いありません。

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どこまで我慢をすればいいものか、どう皇太子殿下(当時)に相談すればよいのかと悩まれたことは想像に難くありません。


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お世継ぎのプレッシャーに加え、皇室内での虐めは雅子さまの心を急激に蝕んでいきます。


適応障害という当時は耳慣れない心の病は「怠け病」等と言われ、メディアも雅子さま批判に傾いて行きます。


秋篠宮殿下と交流の深いタレントのデヴィ夫人が廃太子署名まで始めるほど雅子さまは追い詰められます。





それでも当時の宮内庁はそれを放置しました。





放置せざるをえない圧力に晒されていたのかもしれません。

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いずれにしても、雅子さま虐めが始まったのは美智子さまの嫉妬心が原因、というのは雅子さまの同世代の間では共通認識として根強く語られています。





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雅子さまがかつて見せられたこのお辛そうなご表情の理由をご存知でしょうか。


これは皇太子殿下(当時)がガーナとケニアへ出発されるのを見送る雅子さまのお姿です。


約10日間という比較的長い期間だったためお寂しかった、というわけではありません。


実はこの前日の2010年3月5日、宮内庁が敬宮愛子内親王(以下、愛子さま)が私立学習院初等科第2学年在籍中に学校を連日欠席していることが、宮内庁東宮職の東宮大夫により発表されたことから大騒ぎになっていたのです。


宮内庁は、敢えて皇太子殿下の出発の前日にこの会見を行い、残される雅子さまと愛子さまを追い詰めました。


出発の前日では、皇太子殿下が何の対応も取れないことを見越しての策略だったのでしょう。

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雅子さまは、どれほど不安だったことでしょうか。


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今ではそのご立派にご成長され、「愛子天皇待望論」まで出るほどの人気を誇る敬宮愛子内親王(以下「愛子さま」)ですが、学習院初等科ご在学中には、クラスに乱暴な男子がいるという理由で登校に問題が生じる、ということがありました。





このことが宮内庁から発表されると大騒ぎとなりました。


皇太子殿下がアフリカからご帰国される頃には、週刊誌はこの話題で埋め尽くされていました。

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事態はかなり深刻なものとなり、当時皇太子妃であった雅子さまが登校に付き添われることとなりました。

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ところが、この「付き添い登校」はマスコミから酷いバッシングを受け、「異様な親子」「茶番」とまで言われました。


それでも雅子さまは愛子さまがおひとりで登校できるようになるまで「付き添い登校」を続けられました。

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雅子さまはこの年の誕生日のご感想で、愛子さまへの付き添いについて自ら説明されています。



【昨年から、皇太子殿下とご相談をしながら、どうすれば愛子が安心して学校に通うことができるようになるか、そのために、親として何をしてあげられるのか、日々考え、力を尽くしてまいりました。学校とも相談を重ねてまいりましたが、愛子の学校への付き添いは、与えられた状況の中で唯一取れる可能性として続けてきたものでした】


そこには、例え誹謗中傷されようとも子供を守り抜く、という強い決意が感じられます。


愛子さまがご立派にご成長されたのは、ご両親の揺るぎない愛情があったからこそでしょう。








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